車いすの夫とベルリンへ行きたいブログ

車いすユーザーの夫と暮らして発見したことなどをつづります。ドイツ語学習中。

夫のコミュ力の高さ。それは車いすと関係があるのか?という思考はちょっと私を内省的にさせる。

夫はコミュ力が高いと思う。

どんなときに思うのかというと……。夫は近所のパン屋のおっちゃんとか、同じマンションに住んでいるこどもとかと、すぐ友達になるのです。

 

先日、夫の友達たるパン屋に一緒に寄ったときも、「きょーは仕事やすみ」とかなんとか、フツーに会話してました。

そして、家の近くで友達であるこども(少年)に偶然あった夕方、その子に言われたそうです。

 

「せっかくだから一緒に帰ろうよ」と。

 

そんなこと大人になってから言われたことある?笑 いやないね!(反語!)なんなら小学生の時にも言われたことないんじゃないか!

 

いやー私はできないんですよ。近所のお店の人と雑談してしまうと、次からそのお店に行けなくなってしまうタイプです笑。なんて会話すればいいんだろう…会話するのを相手は待っているのだろうか……しかし私のことを覚えているかどうか…という思考のループで、飲食店だと落ちついて食べられなくなってしまいます。

 

それはともかくとして、夫はコミュ力が高いです。そして人にすぐ顔を覚えられますが、それはもしかしたら車いすに乗っているという特徴があって覚えやすいからかもしれないですね。

 

ふと、こう考えたことがあります。夫がコミュ力が高いのは、街で誰かにお手伝いを頼まざるを得ない経験から、知らない人とお話をする能力を磨くことが必要だったからではないか…と。

でもそんな考えが思い浮かぶと、自分で自分にちょっと失望して打ち消します。なんでもかんでも車いすのせいにするんじゃないよ。夫が人当たりがよくてぱっと見陽キャ(実態は陰キャ?)なのはもともとの性格だよ。夫はけがをする前から、スポーツ教室で自分より若年なちびっこたちを従えてお兄さんぶったり、人のうちになってるみかんをもらったり、フェンスに登ったり神社でカップラーメン食べたりしていたというのだから(関係ないか)。

 

車いすに乗っている」という属性はインパクトが強いので、なんでもかんでも車いすのせいにしたくなってしまう傾向、あるような気がします。私だけじゃなく。腕を鍛えてるのは車いすだから、とか。まあ車いすこいでるからってここまで鍛えられる訳じゃなく、スポーツやってるからですね。映画館で右よりの席を取りがちなのは障害のせいとか。結婚前に一瞬そう思いましたが、とくに意味はなかったですね。笑

 

だんだんひどくなると、今の仕事についたのも、いつも似たような格好をしているのも、ラーメンが好きなのもぜんぶ車いすのせいなのかーい!!……となってきてしまうような。そうすると、夫という人間は「車いす」というフィルターをかけられてしまい、夫さんというよりは障害さん。に、なってしまうような気になってきます。それはあんまり良くないなあ。

 

歩けなくなるという経験はたぶん、人生を大きく変えることなので、その人の多くの部分に影響を及ぼすことであろうけれども、その人を「歩けない」という入り口からしか見なくなってしまったら、それは悲しいことだなあ。などと私は思っています。

 

「夫君て○○だね」と、かけられる言葉から、そういうことを思うこともある訳ですが。夫を小さい頃から知っている人の言葉からは感じたことがないんですね。やっぱ、付き合いが長くて、車いすかどうかなんてどうでもよくなっちゃってるのかもですね。

 

とりとめもないですが、夫はコミュ力が高い。それはそれ以上でもそれ以下でもなく、ただそこにある事実なのでした。笑